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​渋空とは

 渋空は、字の如く「渋」谷という場所にありながら、木々の緑と青い「空」の静寂を味わえ、バルコニーで茶を楽しんだり、壁面鏡でエクササイズしたり、大スクリーンで映画を見たりすることのできるやすらぎの「空」間を提供いたします。

 ただ「渋谷の空」を味わえるという意味だけではなく日本人独特の感性でもある「渋さ」を味わえる「空」間という意味が含まれています。「侘び寂び」という日本人の美的感覚を表す言葉がありますが、その言葉よりも平易に使われている「渋さ」という言葉があると思います。

 民藝運動を起こしたことで著名な日本の思想家、柳宗悦が「渋さ」についてこう述べています。

  「十を十に出すのは渋さではない。まして十を十二に見せるのが渋さではない。十二あって十に示すことこそ渋さの秘義である。(中略)渋さに伴ふ重みや深みはここに由来する。美は饒舌であつてはならぬ。どこかに沈黙の要素がなければならぬ。」文藝春秋社刊。筑摩書房版全集 第 9 巻「工藝文化」p.454。

 

 「美しい」ものを生み出すために自らの力を余す所なく出し切った作品は、その人の努力が熱量として人々の心を大きく揺さぶる力を持っていると思います。今の世界はそういった「美しい」作品に溢れ、私達の心は常に動かされ、感化された人々は新たな「美しい」作品を生み出しています。

 時に、「静寂」のひとときも必要かもしれません。人の熱量を常に受け止めていては、熱が冷めずにオーバーヒートしてしまいます。その熱を冷まし、自らの糧として成熟させられる空間が今の世の中で求められていると思います。その「静寂」はただ静かであるだけでは逆に落ち着きません。「渋さ」という沈黙が伴う「美しさ」こそが、私達が求めている「静寂」であり、落ち着ける空間をもたらしてくれると考え、「渋」という文字を用いました。

 また柳宗悦は、「渋い」という語源に大乗仏教の「空」や「無」の思想、および老子における「虚」の思想が関わっていると述べています。「空」は梵語「シューニャ」の訳語で、よく「無」とも漢訳されますが単に「なにもない」という意味ではありません。数字のゼロも原語は「シューニャ」ですが、ゼロは、+(プラス)、-(マイナス)両方になる可能性を持ちます。レンタルルームもただの「から」の空間ですが、「渋空」という空間で得た体験から新しいアイディアが生まれ「ある」状態にすることを目指しています。

 

 お客様にとって、心地よい「静寂」を提供するとともに、その「空間」での体験がお客様の新たなアイディアやクリエイティブを刺激することが「渋空」のコンセプです。

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